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五郎津ダム

その他

決壊したと噂される五郎津ダム。
残念ながら、ダムへ続く道は見つからなかった。
しかしながら、ダムに関するものと思われる石碑を発見。
読んでみると、確かに五郎津ダムに関するものだった。
地元の方にもお話を伺った。
そのかたのお話によると、数年前の台風により土砂崩れが発生、河川や水路、五郎津ダムの取水設備に大きなダメージを与えた。
また、ダムへと続く道も寸断された。
五郎津ダム近隣に2軒の民家があったが、水が出なくなったということで、下流に移り住んだ。
それ以降、このダムは放置状態となり、現在に至るという話である。
ダムへ行く道も教えて頂いた。
石碑の場所より林道を南下し、1つ目のトンネル手前に左折する分岐点があるという事である。
ここがダムへの道らしいが、土砂崩れで道が無くなっている(?)ため、4輪はもちろん、2輪でも不可能らしい。
徒歩なら何とか行けるらしいが、夏場はヒルが大量発生しているらしいので避けた方が良いとの事。
時期を見て再訪問したいと思う。
ちなみに、石碑によると、水深13mとの事なので、ダムではない疑いが強まった。
また、千葉県総合企画部水政課の台帳によると、平成19年の資料には五郎津ダムの存在は確認されている。

※(一財)日本ダム協会のダム便覧から削除されました。


戸面耕地整理組合開墾碑

農村・安定せる生活・根元は、生産の拡充にあり完全なる生産は積極なる施設であることは言を俟たざる行であり ます我が白老用水組合地区は市原郡加茂村大字戸面大字朝生原並びに夷隅郡大多喜町大字葛藤の各部落に跨り、南は 旧老川村西南は旧亀山村に境する所謂南総の山間地なり、故に耕地に恵まれず特に水田面積僅少にして古来より生活 意の如くならず此処に於て畑地山林原野を開墾し以て住民の安態なる生活を意図し企業者相謀り明治37年2月11日白老 水路組合を結成し大字戸面地先字甫口谷より導水計画を樹立し之れが実施測量に着手翌年10月5日着工2ヶ年余の歳月と 金3600円を費やし1008間の隧道の難工を見事完了し又九町八反歩の開田を成し遂げたるに元より源水量少く降雨に依ら ざれば予定の灌漑する事を得ず為に施工費の償還及管理費に追われ極度の疲幣困憊に落ち入たれど屈せず大正2年11月8 日第二次水源を旧老川村大字筒森地先の養老川支流に求む是れ又険岳重條文字通りの地形なれば測量又は施工等困難に 遭遇したるも耐えて1200余間の隧道の完成を見る此処に於て晩年の基礎全く成りて地区の経済は年と共に回復し関係者 の喜び一入なるも大正12年9月1日の関東大震災襲来に遭遇したるも耐え固渇し又々旱田と化せり明けて14年6月18日耕地 整理法に依る組合を結成し同14年7月許可を得て戸面耕地整理組合と改称し県費の補助を得て字五郎津地先へ工費12000 円を投じ面積一町歩余水深13mの溜池を構築設施し予定の貯水を得、年々灌漑の便を見たり昭和27年7月15日耕地整理法 の廃止に依り白老用水組合と改む吾郷黨の先駆が幾度かの難危で克後服し卉に農業経営の安住地を開拓せられたる薫り 高き偉業を偲び永えに傅ふるものなり 昭和30年12月建之


 白老用水組合地区は市原郡加茂村大字戸面大字朝生原と、夷隅郡大多喜町大字葛藤の各部落にまたがり、 南の旧老川村西南は旧亀山村に境する南総の山間地である。ゆえに耕地に恵まれず、特に水田面積が少ないため古来より良い生活ができなかった場所である。

 畑地山林原野を開墾して住民の安泰な生活を目材し、企業者を募り、明治37年(1904年)2月11日白老水路組合を結成し、大字戸面地先字甫口谷より導水を計画、 実施測量に着手した。翌年(1905年)10月5日着工。2ヶ年余の歳月と金3,600円を費やし、1008間(1832.5m)の導水路が完成、また、九町八反歩(9.7190422ha)の水田も開拓した。

 しかし、元より源水量が少なく、降雨にたよらなければ予定した水量を得る事ができず、施工費の償還や管理費に追われ、破綻状態に落ち入った。

 それに屈せず、大正2年(1913年)11月8日、第二次水源を、旧老川村大字筒森地先の養老川支流に求めた。 険しい地形のため、測量や施工をおこなう事は非常に困難だったが、1200余間(2181.6m)の導水路が完成した。 これにより、地区の経済は年と共に回復し、関係者は大変喜んだが、大正12年(1923年)9月1日の関東大震災により、再び涸渇し、日照り田となってしまった。

 明けて14年(1925年)6月18日、耕地整理法による組合を結成し、同14年(1925年)7月、戸面耕地整理組合と改称した。 県費の補助をえて、字五郎津地先へ工費12,000円を投じ、面積一町歩余(0.9917ha)、 水深13mの溜池を構築設施した。計画通りに貯水がおこなわれ、灌漑用水として利用された。

 昭和27年(1952年)7月15日、耕地整理法の廃止により、白老用水組合と改名。


この道がダムへと続く道と決めつけて歩いたが、砂防ダムで行き止まりだった。
その途中の光景。

林道の脇に五郎津ダムに関する石碑を発見。

石碑を眺める調査隊&地元のおじさま。


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スペック

ダム名五郎津(ごろうづ)ダム
ダム型式アース
河川名/水系名蕪木川/養老川水系
所在地千葉県市原市戸面
位置北緯35度14分17秒 東経140度08分35秒
着工年/完成年/1925年
用途かんがい用水
堤高17.0m
堤頂長100.0m
堤体積61,000立方m
流域面積0.4平方km
湛水面積1ha
総貯水容量76,000立方m
有効貯水容量76,000立方m
ダム湖名 
管理白老用水組合
本体施工者戸面地区

水位

設計洪水位
洪水時最高水位(サーチャージ水位)
平常時最高水位(常時満水位)
洪水貯留準備水位(洪水期制限水位)
最低水位

放流設備

用途形状サイズ放流能力

アクセス

亀山ダム天端を右岸方面に走り、国道465号線に入る。
4.10km走ると、トンネルがあらわれる。
このすぐ手前を左折。林道に入る。
トンネルを6つ潜ると、右手に、なんとなく道らしきものがあらわれる。
この道を進めば五郎津ダムに到着するという。
4輪はおろか、2輪でも走行不可能との噂だ。
徒歩で挑戦して欲しい。
また、夏場はヒルが大量発生するので、この時期は避けた方が賢明だとの事。


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